待つ

 「ヨガ」は地味だなあと感じる。日本ではここ数年、(やっと)ヨガが流行って雑誌とかに頻繁に取り上げられるようになり、ヨガのイメージは「おしゃれ」とか「かっこいい」とか「クール」とか、そういうものとして作り上げられてきた。そのおかげで、ヨガをやりたいと思う人が増え、私のところにも問い合わせが一時はかなり増えた。
 ありがたいことであるけれど、実際やっていることはとても地道なことなんだと思う。
 私のところに1年2年、3年と続けて来ていただいている生徒さんを見ていると、生徒さんたちの体や動きは大なり小なり変化があり、たとえ週に1回でも続けるってやっぱりすごいことなんだと心から感じる。
 ヨガでも「待つ」ことが大切なんだろう。「できない」とそこで自分の中の何かを切ってしまわずに、とりあえずそこにおいておく。できない、うごかない自分を受け入れて、できることを、もしくはできる範囲でする。そこで、求めすぎてしまうとストレスになり、ヨガを楽しめない。
 これは自分に合う、合わないとすぐに判断せずに、ちょっと待ってつきあってみる。やっぱり合わないかもしれないし、案外いい感じだと思うようになるかもしれない。
 フェルデンクライスのトレーニングで背骨を触る時に、自分から探らずに待っているように言われた。最初はそこで待つことができず、探ってしまうけど、そうしてもなかなか見つからない。
 簡単にできることってない。立って足を揃え手を上に挙げていくだけの動きでさえも、いく通りものやり方があり、自分の意識がどうあるかでも全然違うものになる。
 足首や手首を回すことでも同じことだ。
 結局は体を通して自分と向き合う作業だ。自分にできるのは、自分のからだの声を聞くことでしかない。
 ただ、あまりに自分自身に入り込みすぎて、周りが見えなくなったり、聞こえなくなるのはちょっと違うように思う。周りの環境を感じながら、自分に意識が向いている状態に近い。
 今の自分のからだや環境を受け入れて、急がずに「待つ」ことができるなら、それはとても素敵なことだと思う。
 そのためには、淡々とやるしかないわけで、それがとっても地味だなあと思うわけだ。ただし、機械的にやるわけではないので、同じ動きをしていても、いつも新鮮なんです。

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