本当の範囲

 昨日、漢方の先生と話をしていて、体の話になって、いろいろな人で言うことが違うので、どの話が本当なのかわからないんですよね~なんて話したら、「本当の範囲は広いんですよね」と返された。


 AさんにとってはAが正しいことであっても、BさんにとってはBの方が正しいことである場合もあるし、状況が変わればAさんにとってBの方が正しい場合もある。
 そういえばフェルデンクライスもそうだ。ある人にとってのよい動きは他の人にとってのよい動きであるとは限らない。自分がやってうまくいったやり方が、他の人に通用するかどうかはわからない。うまくいく場合もあるだろうし、うまくいかない場合もある。
 昨日、アフリカのケニアで暮らしている人のお話を聞き、太鼓の演奏を聴く機会があった。マサイ族の話を聞いた。マサイの人たちは牛の乳と牛の血を常食としているらしい。牛の肉は儀式とかの時だけで食べる。遊牧民なので畑もなく、基本は牛乳と血で生きていると言っていた。それで、みんな贅肉もないスッキリした体をしている。それでも生きていけるという話に驚いた。
 私達はマサイの人達のように牛の血を飲むことはできないかもしれないけれど、マサイの人達の食を否定しないことはできる。そういうこともありなんだと自分の中にしまうことができる。
 「正しい」や「本当」が一つではないと考えることは、今の私達にとても大切なことのように思う。たまに自分の正しさを手放すことも(なかなかできないけど)、結構いいのかもしれない。

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