期待は一旦おいといて

 昨日、テープでATMをしようとしていて、5分で爆睡した。
 ところで、この前ヨガの生徒さんと話したり、私のこの数年の経験から感じることだけど、何かを始める時に「期待」は結構邪魔になる。
 どうも見ていると、それほど期待してなかったけど・・・というような感じで始めた人のほうが長続きするように思う。期待に胸を膨らませて始めると、自分の期待と違ったりすることは往々にあるので、どんどん情熱が冷めていく。
 例えば情熱を縦軸にとり、時間を横軸に取ると、あまり期待がないと、始めの段階は0に近いので、そこから下がりようがないが、最初が100に近いと、だんだん下がっていくばかりのような気がする。
 一概には言えないけどね。
 期待は言い替えれば先入観とも言えるだろう。フェルデンクライスメソッドにおいても、先入観が無い方がレッスンがうまくいくと思う。
 プラクティショナーや現在トレーニング中の私達は、フェルデンクライスが好きだし、とても面白くて奥が深くて、よりよく生きていくための助けになると思っているので、多くの人達に体験して欲しいと願っている。だから、フェルデンクライスの効果をうたい人を集める。
 けれども、矛盾しているかもしれないけど、実際レッスンに参加する時は、期待を一旦横においておいて、さらの状態で受けてもらいたいなあと思う。効果は後からついてくるものだし、人によっては時間もかかる。
 期待があることでレッスンを純粋に楽しむことが難しい場合も出てくる。「こんなはずでは・・・」という思いは、期待がなければ生まれてこない。逆にそれほど期待していなければ、変化や影響に素直になれるし、ほんの小さなことでも宝石を見つけたような気分にもなれる。
 日々の生活においても、あまり期待を持たない方が、そのときそのときを楽しめるのかもしれない。期待を持っても、一旦それを置いておくことができるときっといいんだな。

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