ヨガルームMUKU通信1号(2003年6月)

 私の生徒さん向けに書いた通信1号です。2号まで書いた後に、昼間の仕事を始めたりして、その後発行は止まっています。ハハハ。クラスでなかな伝えられないことを書きたくて始めました。2号坊主状態ですが、とりあえず1号をアップします。


ヨーガはエクササイズ?
 ヨーガを始めるきっかけは人それぞれに違います。からだに良さそうだからとか、エアロビやジャズダンスのように早い動きで動くのは好まないけれども運動不足は解消したいとか、スケジュールがちょうどよかったとか、何となく前から興味があったとか、そのような感じの方が多いようです。
 ヨーガは単なるエクササイズとしてやろうと思っても、それなりの効果は十分得られます。けれどもエクササイズ以上のものも得ることができます。なぜなら、ヨーガそれ自体は、エクササイズとして何千年と受け継がれてきたものではないからです。(ハタ)ヨーガの中の一部分であるアーサナがエクササイズとしても使えるだけであり、アーサナもエクササイズというよりも、自分の身体を調整するためのものとして編集されてきました。ヨーガはエクササイズではなくて、「実践」という意味におけるプラクティスなのです。
この通信の目的
 私は皆さんとヨーガとの関わり方は、それぞれで構わないと考えています。私自身、始めは(今でもそうですが)自分のからだの変化が面白く、続けてきた部分が大きいのですが、アメリカでティーチャーズトレーニングを受ける中で、アーサナ以外の部分も少し勉強する機会がありました。実際、そのことはアーサナをやる行為にフィードバックもされ、自分が現在立っている位置を知る手段の一つとしても使えるものでした。
 私はクラスの中ではヨーガについてお話しすることをあまりしてきていません。最近、日本でもスポーツクラブなどでヨーガが流行り始め、エクササイズ的な部分が特に強調されてきていることもあり、「ヨーガの良さはからだを動かすだけではないし、ヨーガについて、せめて自分が知っていることだけでも伝えたほうがいいよなあ」と思うようになりました。
 私自身もこの通信を書くにあたり、自分の持っている本をあちらこちら開き直しました。私もまだまだヨーガの表層近くを漂っているだけで、わからないことが多いのが正直なところです。ヨーガにはいくらでも入っていける懐の深さがあります。そして、ヨーガは宗教ではありません。私達がどうやって生きていくかの道すじを示してくれる手段や方法の一つだと私は思っています。ヨーガをうまく生活に取り入れることは、自分や周りを見つめる上での視点を、自分の中にもう一つ取り込むことです。あのガンジーも、後述する「バガヴァッド・ギーター」を座右の銘としていたということです。からだを動かす部分でないヨーガの一面を、ささやかながらこの通信で少しずつご紹介していく予定です。
ヨーガ(yoga)という言葉
 さて、最初はヨーガという言葉の意味をとりあげてみることにします。ヨーガはインドで生まれました。その起源は、一般に紀元前4世紀頃に書かれたと言われているヒンズー教の聖典「マハーバーラタ」 の中の 「バガヴァッド・ギーター」 に既に見ることができます。「バガヴァッド・ギーター」は宗派を超えてヒンズー教最高の聖典であると言われている本です。この本の中には様々なヨーガのことが書かれています。
 ヨーガという言葉は、サンスクリット語の「縛る」「結ぶ」「結びつける」 「・・・をつなぐ」 「本人の注意を導き、集中し、使い、かつ応用する」というような意味の「yujユジュ」に由来しています。そして、「ヨーガ」がサンスクリット語で適用されている範囲はとても幅広いものです(※1)。
 その中で一般的にヨーガの説明としてよく取り上げられているものは、「結ぶ」 「調和、一つになること」 でしょう。では、一体何を結び、何と何が一つになることを意味しているのでしょうか?精神的なレベルでは宇宙の意識とそれぞれの個々の意識との結合として説明され、実践的なレベルでは、「からだ」と「こころ(意識)」と「魂」が結びつき調和がとれている状態を意味しています。
 例えば、ご飯を食べているときに、その後の予定や別のことを考えていたり、身体を動かしているときに、頭の中では他のことを考えているようなことはありませんか?そのようなときは、身体と頭が別々の場所にいることになります。「今の瞬間に、自分がまるごとで存在する」ことは、忙しい時代を生きている私達には簡単なことではありません。現代は、頭と身体がどんどん分断されているストレスフルな時代です。ヨーガが再び流行ってきた原因の一つには、ヨーガのこのような背景もあると考えられます。まずは、呼吸を通して自分のからだと意識(こころ)を結びつけることが、初めの一歩です。
ヨーガとは何か?
 ヨーガはもともとインド六派哲学の中の1派であり、その教義の原典は「パタンジャリのヨーガ・スートラ(The Yoga Sutras of Patanjali)」に求められます。パタンジャリというのは、ヨーガ・スートラを編纂した人とされています。これは古典ヨーガとされ、私達がやっている身体を使うハタ・ヨーガは、それよりも遅れて成立したものです。しかし、現在でもヨーガ・スートラは多くの人々に読まれ、ヨーガの基本の一つとされています。
 原書はサンスクリット語で書かれていて、英語では新たな翻訳本や解釈本が現在でも数多く出版されています。残念ながら、日本語ではあまり出版されていません。「ヨーガ根本経典」 (佐保田鶴治著、平河出版社) がそれにあたりますが、仏教用語が多く用いられているために、仏教になじみが無い人にとっては、多少難解なものとなっています。また「ヨーガの哲学」(立川武蔵著)でも内容の解説がとりあげられています。
「ヨーガ・スートラ」のⅠ-2にヨーガの定義が書かれています。下にあげた英文はいくつかの本から引用したものです。それぞれがサンスクリット語を解釈し翻訳していますので、表現が異なっています。
■The restraint of the modifications of the mind-stuff is Yoga.(※2)
(こころの変化を抑制することがヨーガである。)
■Yoga is the restriction of the fluctuations of consciousness. (※3)
(ヨーガは意識の揺らぎを抑制することである。)
■Yoga is the control if thought-waves in the mind.(※4)
(ヨーガはこころの中の思考の波をコントロールすることである。)
■Yoga is the ability to direct the mind exclusively toward an object and sustain that direction without any distractions.(※5)
(ヨーガはこころを完全に対象物に向けて、何の妨げも無くその行為を保つ能力である。)
 日本語では「ヨーガとはこころの動きの止滅(もしくは統御)である」と訳されています。その時代や訳者によって、「ニローダ」というサンスクリット語を「止滅」とするか「統御」とするかに違いが生じたということです(※6)。私は上記英文中のrestraintやrestrictionを辞書から「抑制」と訳しましたが、「統御」という意味の方が良いのかもしれません。
 また、前述した「バガヴァッド・ギーター」の中には下記のような記述も出てきます。
Do thy work in the peace of yoga and, free from selfish desires, be not moved in success or in failure. Yoga is evenness of mind- a peace that is ever the same.(※7)アルジュナよ、執着を捨て、成功と不成功を平等(同一)のものと見て、ヨーガに立脚して諸々の行為をせよ。ヨーガは平等の境地であると言われる(2・48)。(※8この日本語は上記英文の訳ではありません。)
 
「バガヴァッド・ギーター」では、ヨーガは前述したような定義よりも広く、別の観点からも書かれているようです。「バガヴァッド・ギーター」はインド哲学の全てに関わるものであり、「ヨーガ・スートラ」はその中のヨーガ派の経典であるという違いも関係しているかもしれません。
<参考図書>
※1:The Shambhala Encyclopedia of YOGA by Georg Feuerstein,PH.D.

※2:Integral Yoga-The Yoga Sutra of Patanjali- by Sri Swami Sachidananda
※3:The Yoga Sutra of Patanjali -A New Translation and Commentary- by Georg Feuerstein, PH.D.

※4:How to Know God -The Yoga Aphorisms of Patanjali- Translated with a commentary by Swami Prabhavananda and Christophe Isherwood

※5:The Heart of Yoga -Developing a Personal Practice- by T.K.V. Desikachar

※6:ヨーガの哲学 立川武蔵著(講談社現代新書)

※7:The Bhagavad Gita Translated by Juan Mascaro
※8:バガヴァッド・ギーター 上村勝彦訳(岩波文庫)

その他
バガヴァッド・ギーターの世界-ヒンドゥー教の救済- 上村勝彦著(NHKライブラリー)

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