ヨガルームMUKU通信2号(2003年7月)

 昨年の7月に2号を出してから、3号はまだ出ていません。とりあえず、2号もアップします。


ヨーガにも流派があるんですか? 
 このような質問を多くの方から聞かれました。答えは「はい」です。今回は、現在分類されているヨーガの基本的なフレームをまとめてみようと思います。
 先回の通信に書いたように、ヨーガはもともとはインドの正統六派哲学の中の一派です。私達が現在しているヨーガは、ヨーガの中でハタヨーガとして分類されている中に入ります。そして、ハタヨーガの中でも様々なスタイル(流派)があります。まずは、ハタヨーガを含むヨーガの大きな分類について、簡単にまとめてみましょう。
ヨーガの分類
 現在ではヨーガは大きく6~8つに分類されます。「いまに生きるインドの叡智」(成瀬貴良著)によればラージャ・ヨーガ(Raja Yoga)、ジニャーナ・ヨーガ(Jnana Yoga)、カルマ・ヨーガ(Karma Yoga)、バクティ・ヨーガ(Bhakti Yoga)、ハタ・ヨーガ(Hatha Yoga)、マントラ・ヨーガ(Mantra Yoga)に分類されています。他の英語の本などでは、これにタントラ・ヨーガ(Tantra Yoga)がマントラ・ヨーガとともに加えられていたり、マントラ・ヨーガの代わりに入っていたりして、その著者によって分け方が多少異なります。
 それぞれ独自の手法がありますが、目的とするところは、「解脱」という境地であり、目指すところは同じです。また、これらは完全に分けられているわけでもなく、実践という面ではミックスされて使われています。
ヨーガ・スートラのアシュターンガ・ヨーガ
 ここでは、私達が実践しているハタ・ヨーガと関係が深いラージャ・ヨーガについてとりあげてみましょう。ラージャ・ヨーガはハタ・ヨーガと深く関係しています。ラージャ(raja)は「王」、「貴族」という意味で、「心統一」法としてのヨーガを説くもっとも古典的なヨーガとされています。先回ご紹介したパタンジャリが編纂した「ヨーガ・スートラ」が、ラージャ・ヨーガの経典です。ラージャ・ヨーガの理論面はサンキーヤ哲学であり、実践面が「ヨーガ・スートラ」に述べられているアシュターンガ・ヨーガです。(サンキーヤ哲学については、ご興味のある人はご自分で調べてみてください。私自身、インド哲学について説明できるほど本を読んでもいない状態です。けれども、哲学等にご関心のある人でしたら、きっと面白い分野だと思います。)
 さて、このアシュタンーンガ・ヨーガの「アシュタ」は「8」、アンガ「部分」という意味で「8つの部分からなるヨーガ」が直訳になります。英語では、「eight limbs(枝) of yoga(ヨーガの8本の枝)」とよく書かれています(このアシュターンガ・ヨーガは、西洋で現在流行っている「アシュターンガ・ヨガ」とは異なります。これは、パタビジョイスという人が編集したハタ・ヨーガのスタイルであり、ここでいうヨガ・スートラのものではありません。でも、もちろんここから名前をとってるいるのだと思います)。
 このアシュターンガ・ヨーガは「ヨーガ・スートラ」がヨーガの基本経典と言われているように、ハタ・ヨーガを実践する人達の多くが、ヨーガの基本的なこととして学んで実践しようとしているものです。ヤマ(yama)禁戒、ニヤマ(niyama)勧戒、アーサナ(asana)坐法、プラーナーヤーマ(pranayama)調気、プラティアーハーラ(pratyahara)制感、ダーラナー(dharana)疑念、執持、ディヤーナ(dhyana)静慮、禅那、瞑想、サマーディ(samadhi)三昧、定、等持(「いまに生きるインドの叡智」(成瀬貴良著)より)が、ここで言われている8つの枝です。日本語もわかりにくいですね。
 簡単に言うと、最初のヤマ、ニヤマは心を安定させるためのものであり、ヤマはすべきでないこと、ニヤマはするべきことが挙げられています。突飛なことではなく、私たちの生活にも散りばめられている事柄です。アーサナが、私たちがしているポーズにあたります。プラーナヤーマは呼吸のコントロール、プラティアーハーラは感覚器官を制御し心の動きを止めること、ダーラナーは心の集中、ディヤーナは集中しつくした思念を拡大していく瞑想、サマーディは自我意識が消え、「自分」と「対象」の区別がなくなった状態と言われています。後の部分については、私はそういう境地に達したことはないのでよくわかりません。けれども、ヤマ、ニヤマの部分は、生きるための一つの物差しとしても普段の生活にも十分取り入れられるものです。これについては、今後の通信でもう少し詳しく書いてみたいと思います。
ハタ・ヨーガ
 私たちが普通「ヨーガ」という言葉からイメージしているものは、ほとんどこのハタ・ヨーガに含まれます。ハタ・ヨーガの「ハタ」は「力」「努力」「暴力」という意味で、ハタ・ヨーガを直訳すれば「力のヨーガ」という意味になります。また、「hatha(ハタ)」の「ha」を「太陽」または陽エネルギー、「tha」を「月」または陰エネルギーとして、この2つのエネルギーのバランスをとることを目的とするとも言われています。
 ハタ・ヨーガは心や精神だけでなく、それをも含んだ身体全体を通して解脱を説いているところに特徴があるとされ、ラージャ・ヨーガでは重視されていなかった身体というものを、大宇宙に対する小宇宙として、重要で聖なるものとして扱かっています。私もヨーガ関係の友人から、自分の身体は魂が住む神殿なのだから、手入れをして、きれいに保たないとねと言われたことがあり、なるほどなあと思ったことがありました。また、ラージャ・ヨーガが基礎におくサンキーヤ哲学の二元論と異なり、ハタ・ヨーガはヴェーダンタ哲学の一元論の流れを汲んでいます(ごめんなさい、詳しいことはインド哲学の本を当たってください)。ハタ・ヨーガは素晴らしいシステムや科学的な技法もあり、哲学的な背景を持っているのです。
 私が皆さんに教えているアーサナは、特にハタ・ヨーガの代表的な実践法の一つとなっています。けれども、今まで書いてきたように、アーサナ=ヨーガではなく、アーサナ⊂ヨーガです。アーサナの目的は、安定した坐り方に加え、身体の健康と軽快さを得ること、プラーナの活性化やクンダリーニ(専門用語です。今後、おいおい触れていきます)を覚醒させるための補助手段として行なうことなどを主な目的としているとあります。私がよく耳にした説明は、アーサナを行なう→呼吸をコントロールしやすくなる、安定して坐れるようになる→瞑想の準備が整う→・・・・というものでした。
 アーサナについての私のイメージは、身体を調整する、身体が本来持っているエネルギーなり力を回復する・呼びさます、身体と自分の意識の回路をつなぐ、自分の身体を信頼することを学ぶというようなことがあります。また、身体と精神は切り離せないものですので、直接的でなくても精神にも作用しています。例えば、アーサナをしていると落ち着き、自分の中が静かになっていく感じがあります。もちろん、アーサナを実践する結果として、柔軟性や筋力が高まる、健康になる、姿勢がよくなるといった、いわゆる多くの人が期待している部分があります。けれども、それはアーサナの目的の一部には該当するかもしれませんが、目的そのものではありません。
 また、アーサナの技法とともに、呼吸のコントロールであるプラーナヤーマも重要な実践法の一つです。プラーナヤーマについては、また改めて書きたいと思います。
 そうは言っても、私自身が9年間(※2003年現在)続けてきた理由は、上記のようなことを目的としてきたからではなく、正直(今でも)目的はなく続けています。身体を動かすことと、また身体が変化していくことがただ面白いからです。身体の探求は全くつきることが無く、知らないことばかりです。自分というものを構成する大きなパーツである身体について、あまりにも知らない自分がいます。もちろん、今でもそう感じています。だから、飽きることはありません。たまたまハタ・ヨーガに出会い、その技法を使ってのアプローチは、とりあえず私に合っていたようで、ここまで続けてこれました。皆さんにも、ポーズができる/できないと視点という視点でなく、自分の身体を探って出来ないことも含めて発見を面白がりながら、アーサナを楽しんでやってもらいたいと思っています。
ハタ・ヨーガのスタイル
 ハタ・ヨーガの中にもいろいろなスタイルがあります。ここからが皆さんがイメージしている流派に相当するものです。日本とアメリカでは多少違い、現在のアメリカにおける代表的なものとしては、アイアンガーヨガ(Iyengar Yoga)、アシュターンガヨガ(Ashtanga Yoga)、ヴィニヨガ(Viniyoga)、シヴァナンダヨガ(Sivananda Yoga)、クリパルヨガ(Kripalu Yoga)、インテグラルヨガ(Integral Yoga)、アナンダヨガ(Ananda Yoga)、ビクラムヨガ(Bikram Yoga)、クンダリーニヨガ(Kundalini Yoga)などがあります。これ以外にも、いろいろなものがあります。
 それぞれに、スタイルの違いがあり、ポーズの名前が同じでも、形が違うこともよくあります。アイアンガーヨガ、アシュタンガヨガ、ヴィニヨガの創設者であるアイアンガー、パタビジョイス、ディスカチャールは、クリシュナマチャリアという先生のお弟子さん達ですので、これらの中では共通している部分が多いかもしれません。
 私が習った先生達のうち、ほとんどの方がアイアンガーヨガをベースとしています。けれども、それぞれの先生はアイアンガーヨガの組織から離れ、いろいろなスタイルをミックスして自分なりに教えている人ばかりでした。ですから、私自身もそういう意味においては、○○ヨーガと言うことも出来ず、ハタ・ヨーガをやっているとしか表現できません。けれどもアイアンガー・ヨガが、私のスタイルに一番近いものと言えます。機会があれば自分でもいろいろなスタイルをやってみたいと思っています。
 アイアンガーヨガはアーサナの補助としてブロックやベルトなどの道具を使うことに特徴があり、またポーズのアライメントを細かく見ます。ですから、指示が細かく、うるさく感じる人もいるかもしれませんが、最初に身体のきちんとした使い方を学ぶという点においては、大きなメリットがあると思います。
 日本は、日本独自のいろいろなスタイルがあります。私でも耳にしたことのあるものとしては、沖ヨーガ、雄弘ヨーガなどで、他にもいろいろなスタイルがあるようです。私自身は日本独自のスタイルのヨーガをやったことがないので、はっきりと言えないのですが、静的なものが多いような気がします。
 「教えるのに資格が必要か」ということもよく聞かれる質問です。インストラクターの資格は、そのスタイルや流派、もしくは私のように某ヨガスタジオでの資格であり、全てに共通するものは何もありません。アメリカでは、例えばティーチャーズトレーニングをたった2週間受けただけで、インストラクターとして教えたりする人も多いらしく、インストラクターの数が増えるにつれて、何か基準を設けた方がよいということになり、数年前からスタイルに関係なくティーチャーズトレーニングを、どの分野で何時間受けたかを証明する機関ができました。
 私は1年半のティーチャーズトレーニングを受けるために渡米しましたが、結果として約1年のトレーニングを受け、他で短期のティーチャーズワークショップも受けているので、アメリカの機関に申請することもできるかもしれません。もしも、私がアメリカで教えているのだったら、どこでトレーニングを受けたのかをプロフィール等に書くことになります。
 最近、日本でもヨーガが流行ってきているので、雑誌にもよく紹介されています。眺めているといろいろだなあと感じます。けれども、同じスタイルだと言えども、先生によって教え方がずいぶん違ったりしますので、結局は、スタイルというよりも、先生との相性がいいかどうかということが、一番のポイントになるような気がします。
<参考図書>
○「今に生きるインドの叡智-ヨーガの源流から現代の聖者まで-」 成瀬貴良著 (今回はほとんどこの本を参考にしました)

○Yoga for Dummies by Georg Feuerstein, PH.D& Larry Payne,Ph.D.

ヨーガスートラの翻訳本について、先号で余り無いようなことを書きましたが、一つ見つけました。「インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガ・スートラ」という本です。スワミ・サッチダーナンダのコメントが多く、わかりやすく書いてある本です。

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