予告編をみたときから気になっていた映画だ。
先週行ったときは私を含めて観客は2人。
耳栓をはめてみたけど、耳栓をうまく装着できず、
完全に音はシャットアウトできなかったけど、
しないのとは違っていた(最後にはずしたら違ってた)。
自分の耳の穴の方向が自分でわかっていないことを知った。
出演者は全員聾の人たちで音がない映画だ。
その人たちの動きが魅力的で、
全然飽きなかった。
言葉の代わりとして用いられている手や腕は、
私達の声の大きさやトーン、抑揚、リズムなどを
全て表現している。
表現のツールとして手を使っているためなのか
手の分化が(出演している人たちは)とても進んでいて、
動きが柔らかくて優雅で美しい。
すごいなあ~。手や腕ってこんなに柔らかくなるのだ。
手を自由に使うためには、それ以外の部分、
例えば手首、腕、肩、肩甲骨、胸なども柔らかい必要がある。
もっと言っちゃえば、頭から足先までからだはつながっているので全身が関係する。
日常の言葉として手話を使うことが、
自然にそういう身体へとつくりあげてきたのだろうか。
もしもあの手の指が楽器を弾いたら、
どんな音が生まれるのだろう。
以前に手話をやっていて、ボランティアで手話通訳もやる人から聞いた話で、
健常者で手話をやる人は、肩こりとか腱鞘炎になる人が多いけど、
聾の人たちはそういうことはないのですと聞いた事がある。
今回の映画をみて納得した。からだが違う。
シネウインドでは7日まで上映中。