2000年 アメリカでヨガを習う

どうしてアメリカへ行ったのか?
  「ヨガならインドでしょう?どうしてアメリカなの?」とアメリカから帰国した後で、多くの友人にこう聞かれた。それは、たまたま私の縁がそのときはアメリカにあったとしか言いようが無い。1994年の日記に書いたように、私が最初に習った先生はアメリカ人で、その後もアメリカ人が多かった。ハワイのリトリートに参加すれば、アメリカ人の知り合いも増える。さらに、そのワークショップはロドニーともう1人
Mary Paffordという先生も加わり、またアメリカ在住の先生と知り合うことになる。ハワイのワークショップには1996年と1998年の2回参加したので、メアリーとも親しくなった。そんなわけで、アメリカでの知り合いが少しずつ増えていく。
 そして、人から教えてほしいと言われることが増えてきた。けれども、自分流にやってきているので、教えることはどうにも自信が無い。年に数回週末のワークショップをとっているだけで、先生にずーっとついているわけでもなかったからだ。集中的にやってみたいとは、1998年くらいから思っていた気がする。ロドニーのスタジオでティーチャ-ズトレーニングのようなものをやっていることは知っていたものの、英語も自信ないし(ハワイで大変だった)、やはりアメリカへ一年間も行くのは無理だと思っていた。
  
 そう思っているうちに、2000年から始まる彼のスタジオでのアドヴァンストレーニング(ティーチャ-ズトレーニング)のプログラムが多少変わることをウエッブサイトで知った。期間が長くなり、メインの先生が彼1人から4人に変わった。あきらめかけていた気持ちが少しムクムクしてきてしまった。1999年の東京でのロドニーのワークショップに参加したときに、彼に尋ねたら、来ればいいよみたいなことを、バリ島のときと同じようにまた言われた。実際はアプリケーションを出して、エンロールされるかどうかが決まる。
 その頃はバイトの関係もどうにかなりそうで、がんばれば行ける気がした。すっかり、その気になった私は、行くことに決めた。その後は、渡米するために多くの方々に力を貸していただいて、どうにかアメリカへ行けることになった。けれども夏頃に盛り上がっていた気分は、煩雑なことが多く、年末にはすっかりトーンダウンし、渡米に向けて不安ばかりが募っていた。そのような気分をかかえたまま、2000年1月4日に私はアメリカへ旅立った。
アメリカのヨガ
 アメリカではここ数年ヨガが大ブームになっている。
 ロドニーのスタジオがある場所は、サンフランシスコの湾を挟んで対岸のイーストベイに位置するオークランドだ。UCバークレーがあるバークレーはオークランドの北側で、サンフランシスコを中心とするこの一体は、アメリカではベイエリア(BAY AREA)と呼ばれている。ベイエイアと言えば、アメリカ人ならすぐわかる。60年代のヒッピームーブメントの中心地であり、今でもそういう雰囲気を残すエリアである。オーガニックフードや健康、精神世界に関心のある住民も多く、身障者の住民も多い。アジア人の割合も高い。そんな地域である。当然、ヨガも流行っている。アメリカでも、先生が一番集中している地域の一つだと思う。
 オークランドは人口規模では新潟程度、けれどもヨガスタジオはあちこちにある(新潟にはもちろんヨガスタジオはない)。ヨガスタジオというのは、初級、中級、上級とか、あるいは種類の違うヨガクラスを毎日提供している場所である。アメリカの場合、月謝制はほとんどなく、そのときだけの料金を払うドロップイン、同じ先生に4回分払うと少しディスカウントになる払い方、もしくはシリーズで一括払うという場所が多い。だから、無理に先生を固定する必要は無い。大体、自分のメインの先生を決めていて、他の先生のクラスをたまにとったりしている人が多い。だから、もしあなたがアメリカに旅行に行くとすると、連絡なしでその時間に行けばドロップインでクラスに参加できるわけだ(中には予約のクラスがある場所もある)。
 他にも、フィットネススタジオにもヨガクラスはあるし、大学のラボでもクラスがあったりする。友人は子ども達にも教えていた。ヨガ以外のボディワークのワークショップに参加したときに、サンフランシスコからきていた人が、「どこに行ってもヨガ、ヨガで、なんだか辟易しちゃうわ。」みたいな感じで話していた。サンフランシスコは言わずもがなであろう。オーガニックフードのストアにも、ヨガグッズが売られている。
 
 日本では信じられないくらい、大ブレイク中なのだ。だから、先生の数も多く、生徒の数も多い。ヨガ関係の書籍やビデオは山のように出版されている。アマゾンコムでYOGAでサーチすれと、延々と本のリストが並ぶ。「ヨガジャーナル」というアメリカのヨガ雑誌には、首をかしげてしまうような広告も多く載っている。
 この流行がいいのか、悪いのは別にして、情報量は確かに多い。そして、私はアメリカのこのヨガスタイルは、今の日本でも受け入れられやすいという印象を持っている。なぜなら現代の日本人の日常生活は、ストレスが大きいという部分でアメリカ人のそれと似ている部分も多いからだ。
 アメリカ人のいいところは、真面目で真剣にやっていても、何だか少し「軽さ」があることだ。ユーモアみたいなものかもしれない。裏を返せば、マイナスにも成り得るポイントではあるけれども。アメリカ人といっても、もちろん個人差はある。ヨガを深くやっていこうとすると、この「軽さ」に物足りなくなる人もいるだろう。しかし、最初の入口としては決して悪くは無い。ヨガは現代人にとっては、その一部だけをとってみても、十分に効果があるツールなのだから。
ヨガにひたるものの・・・
 ロドニーのスタジオではAS2000というプログラムに参加した。参加者は最初35人、ベイエリア住民がほとんどであったものの、州外からこのために引っ越してきた生徒が6人、州内ではあるものの移動に2時間以上かかる生徒も数人いた。カリフォリニア州は広い。海外からの参加者は私のみで、ついでに英語に不自由があるのも私だけだった。
 クラスは火曜日と木曜日の午前中、それぞれ3時間、4時間のクラスと、その他に先生のレギュラークラスを週に1回は参加することが課せられていた。私はそこのスタジオで週に2回はレギュラークラスをとっていたので、少なくとも大体週に4回くらいはスタジオに通っていた。それ以外にも、不定期にゲストの先生によるワークショップがあった。
 AS2000ではアサナ(ポーズ)やプラーナヤマのクラスのほかに、動きの解剖学(筋肉や骨の名前や作用を理解する)のクラスや「ヨガスートラ」や「ヴァガバットギータ」などのヨガの基本とされている本を読むクラスなどがあった。本を読むクラスは、先生の英語がすごい早口であることも手伝い、クラス中は何を言っているかほとんど理解できなかった。宿題もあった。
 
 新潟にいた頃に較べれば、ヨガ浸りの夢のような生活のはずであるが、なぜかそれが日常になり、普通の生活になり、もちろんストレスもたまる。私の場合、英語の壁が予想以上に厚く、一番のストレスになった。容赦の無い英語が飛び交う中で、クラスの中では一番おとなしい生徒になっていた。一人一人と話すときはどうにかなっても、集団の中であちらこちらから矢継ぎ早に話されると、口を挟む余裕はなく、ついていくのもできない状況である。その頃は、「アメリカくんだりまでヨガを習いに来たんだから、吸収できることは全て吸収して帰んなくちゃ!」というように鼻息が荒かったものだから、なおさらストレス度がアップする。しかし、当時の私の英語レベルでそういうプログラムに参加することは、無謀に近いものがあったことは事実である。
 2000年の後半には体調も芳しくなくなった。アメリカに来る前はヨガの練習もやったりやらなかったり自分でのんびりやっていたのが、アメリカに来てからは精神面も含めてずいぶん「がんばって」いたために、どうやら少し疲れがたまってしまったらしい。からだにいいと言われているヨガだって、やりすぎはよくない。何だって、やりすぎはよくないのだ。私は日本が恋しくなった。温泉に入りたかった。おいしい魚が食べたかった。12月には日本に帰国することになっていた。

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